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極楽堂鉱石薬店奇譚

ウェヌスの涙

淡水真珠と龍神 四話

「じゃあねぇ、紫水晶の君ぃ!」

「煩い黙れ! その襤褸ぼろバイクを塀にでもぶつけて仕舞え!」

 薬を携えて9Eに跨った風吹は、姉にそんな悪態をつかれてもへらへら笑って帰っていった。

「はあ……男に間違われて面倒な事になった事があったから、最近は女物も小物に取り入れていたのに……女学生ってやつは……」

「仕方ありませんよ。それだけ奈落さんが魅力的だということじゃないですか?ねえ由乃さん」

 しかし、そんな風に同意を求められても由乃にはただのいつもの姉なので、全くわからない。曖昧に笑って文無あやなしの問いかけをやり過ごしていると、何処からか変な「匂い」を感じて周りを見回した。

「……」

「……どうした? 由乃」

 神経を研ぎ澄ませて周囲に目を配るが、違和感の正体はわからない。姉はこういうのには鈍感だが、由乃には何故か察知する事ができた。多分これは、歪んだ欲望の目線。

「……見られてる」

 由乃の言葉に、奈落は即座に妹を隠すように肩を抱いた。

「最近話に上がる付き纏いの男かもしれん。もう中に入ろう」

 奈落に促されて、三人はそそくさと店の中に入っていった。

 由乃は店に入ってからも外の方を警戒した。幸い、店内に入ってからはあの匂いと違和感は無くなっていた。単純に、「向こう」の視界に入らなくなっただけかもしれないが。

「……由乃、大丈夫か?」

 姉が心配そうに覗き込んできた。こういう時の姉の存在はとても心強い。

「うん、大丈夫。ありがとう」

「付き纏いなど噂かと思っていたが、そうでも無さそうだな……こちらは女所帯だ、これからは注意しなければいけないだろうな」

「うん……」

 姉に支えられて、寝椅子に腰を下ろした。これを察知すると、少し気持ちが消耗する。

 姉の奈落は鉱石に鼻のきく鉱石体質者だが、由乃は少し違った。極楽院の家系は鉱石体質者が多いのだが、由乃だけはその嗅覚が「人の良くない感情」に作用する。その辺りに詳しい祖父でも、由乃のような特徴は珍しいと言っていた。

 だが、人の世は色んな感情が渦巻いているので、それを一々全部拾っていては身が持たない。これは鉱石体質者も同じで、仕事柄沢山の石に触れているのに全ての石の匂いを察知していては頭が痛くなってくる。そのため、大体の鉱石薬業従事者は予防策を立てている。鉱石の中でも水晶は他の石の薬効を増幅する傾向があるのだが、単体で皮膚につけておくとそれらの副作用を軽減させる作用もあった。その性質を利用して、大概の鉱石体質者は水晶の装飾品を身につけている。由乃はその特異な特徴から、姉の奈落は比較的強い鉱石体質から、装飾を身に付ける以外の方法でその対策を取っていた。

 しかし、それを以ってしても感知してしまう「匂い」は強烈なものだ。身近にそういう感情を持つ得体の知れない人物がいるかもしれないと思うと、由乃は気が重くなった。

 ふわりと桂花茶の香りが漂ってくる。気付くと姉が人数分の鉱石茶を持ってきていた。

「少し気分が落ち着くだろう、これでも飲め。文無あやなしさんの分も淹れましたので、ご一緒にどうぞ」

「ありがとう」

「あら、ありがとうございます」

 姉の淹れた鉱石茶に口をつける。由乃の好きな金木犀の香りが気持ちを和ませた。

「あー……お姉ちゃん、蜜を入れてもいい?」

「……特別だぞ」

 普段なら絶対に許可をしない奈落も、今ばかりは大目に見るようだ。カウンターの奥に戻っていって、蜜を探し始めた。が、しばらくあちこちをあさる音が聞こえてくるばかりで、一向に蜜を持ってくる気配がない。

「……しまった、またどこに置いたかわからなくなってしまった」

 やっぱり。姉は失くし物の天才だ。少し前まで手にしていたものすら、次の瞬間には失くしていることがある。すると、隣に座っている文無あやなしがくすくすと笑い始めた。

「相変わらずですわね、奈落さん。そういうところは、うちの主人と全く同じ」

「いやぁ、面目ない……」

 由乃は文無あやなしの言葉に不思議そうに首を傾げた。はて、何故小説家の森と姉に似た特徴があるのだろう。由乃のそんな表情を見て、文無あやなしは笑って声をかけた。

「実は……うちの主人も鉱石体質者なんですよ。しかも、結構強烈な」

「ええっ!?」

「何故か鉱石体質の方って、そういうところがあるみたいですよ。主人は元は極楽堂さんと同業なんです。ここを紹介して頂いたのも、実は主人のつてなんですよ」

「えー!? そうなんですか!?」

「主人は体質が強すぎて、水晶を使っても駄目だったみたいなんです。だから薬屋を畳んで小説家になったと聞いてます」

 意外過ぎる共通点だった。まさか、森も元薬屋だったとは。体質者の共通点というのも、言われてみれば覚えがある。先代の祖父も兎に角ものを失くす人だった。人はどこで繋がっているかわからないものだ。

 どうしても蜜を見つけられなかったらしい奈落は、ばつの悪そうな顔で戻ってきた。

「……砂糖で我慢してくれ」

「砂糖を入れるよりはそのままの方が好きだわ。ありがとう、お姉ちゃん。探してくれて」

 仕方がないのでそのまま鉱石茶を飲むことにした。甘くなければ飲めないという事はない。ただ、桂花茶なら蜜を使いたかっただけだ。

 文無あやなしは鉱石茶を覗き込んで、その中を繁々と見つめていた。

「これは……桂花茶と真珠ですか?」

「そうです」

「もしかして、天鏡珠?」

「……よくご存知ですね」

「この辺りで真珠というと、天鏡沼の養殖真珠が有名ですから……。それに、奈落さんの着物の龍は、天鏡沼の伝承を基にしてるんですよ」

 文無あやなしにそう言われて、由乃は奈落の着物の柄を改めて観察した。雲を纏ってうねるその龍の顔をよく見ると、頭に櫛を挿しており右目が潰れている。

「あっ、本当だ……凄い」

「っはぁ、気付きませんでした……。これはこれは……」

「天鏡沼の龍神伝説。もともと龍が好きなので絵のモチーフにするのですが、折角ですからこちらの地元の伝承を取り入れようと思いまして」

 天鏡沼。それはこの店がある雲水峰坂町うづみねざかまちといくつかの地区に跨る大きな湖で、文無あやなしの話していた天鏡珠という淡水真珠の生産地でもある。大体水辺には龍神の伝承があるものだが、この天鏡沼にも龍神伝説があった。

 昔、天鏡沼の辺りでは日照りが続いて飢饉に見舞われた。困り果てた村人は雨乞いのために、村の娘を一人生贄に捧げることにした。しかしこの娘には人知れず親しくしていた男がいて、生贄にされるのを拒み男と二人手に手を取って村を逃げようとした。だが二人は村人に捕まってしまう。怒り狂った村人たちは捕まえる際に娘の片眼を潰し、そのまま湖に放り込んだ。すると娘は片眼の龍となり、たちまち村に雨をもたらした。

 村人たちが喜んだのも束の間、今度は雨が降り止まず、田畑は水に埋もれ病で命を落とすものが増えた。村人たちは龍神となった娘の呪いだと慄いた。そこを通りかかった女性が訳を知り、自分が龍神を鎮めると言って湖に自分の櫛を投げ入れた。以降、雨も日照りも落ち着いて、村は救われたという話だ。その女性は須佐之男の妻の櫛名田比売だと言われており、今も湖の畔には櫛名田比売を祀る神社がある。不憫な娘の魂は、今も櫛名田比売によって慰められているという話だ。

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