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極楽堂鉱石薬店奇譚

ウェヌスの涙

真珠煙管と女学生 一話

「……というわけでですね。繰り返しになりますが、女学生たるもの清く正しくあらねばなりません。良いですか、女学校というものは良き妻、良き伴侶となるための清純な乙女となるべく貴女がたを教育する場です。学校の外においても慎みを持った行動を心がけて下さい。異性との不純な交友など以ての外です」

 未だ続く教壇の女教師の話に、由乃は姿勢を正して真面目に聞いている振りをしながら内心辟易していた。

 このところ真珠煙管の話や不審者情報のこともあり、先生方は嫌にぴりぴりしている。それならそれで、そこだけ要点を絞って話せば良い。それなのに何やら関係のない不純異性交遊の話にまで発展するので、教師という職業は想像力が豊かではないと就けない職業なのだろうかと思う程だ。

 教室のどこかで誰かが咳き込む声が聞こえてくる。季節の変わり目なので風邪でも引いたのだろうか。欠伸を噛み殺して、由乃は横目で窓の外を眺めた。もうすぐ桜が咲く頃だろうか、窓の外の桜の木は蕾が膨らみつつあるように見える。自分の名前の由来でもあるこの木を、しかし由乃はあまり好ましく思っていない。桜には良い思い出がないし、嫌な事を思い出す。

「……つまり……由乃さん、聞いているのですか?」

 突然教師に名前を呼ばれて、由乃は酷く吃驚した。

「えっ、はい……? 不純異性交友はしておりませんが……」

 とっさにそんなことを答えたが、話の流れが合っていたかは自信が無い。内心心臓をばくばくさせながら、由乃は教師の出方を伺った。

 教師は無表情で小さく溜息をつき、言葉を続けた。

「……なら結構です。貴女はこの学校内でとにかく目立ちますからね。普段から慎みを持って行動していただきたいものですが」

 教師の嫌味に、由乃はかちんと来たが表情には出さなかった。出せば、また話が長くなることはわかっている。しかし、目立つだの慎みを持てだの、まるで由乃が節操の無い不良女学生のように言われることは心外だった。自慢では無いが、これでも自分は慎み深いほうだと思っている。異性とお付き合いなどしたことが無いし、身の回りの異性と言えば親族ぐらいのものだ。箍の外れたような行動もしたことがない。

 だが、周囲はそうは思わないようだ。白い肌に長い髪、二重で印象が強い目。それなりに見目が良いものの、愛嬌があるというよりはきつい印象を与えるせいかやたらと目をつけられる。おそらくは、母親譲りで色素が薄い目の色のせいもあるのだろう。由乃の瞳は他に比べて色が薄く茶色がかっていて、見方によっては金色に見えることもある。父も母も純粋な日本人だが、母は家系的に色素が薄い。実は姉も少し目の色が薄いのだが、由乃ほどでは無いせいかあまり目立たない。変種の鉱石体質といい、損な血を引いたものだ。

「……それと、これは皆様既にお判りいただいていて今更言うことでも無いかとは思いますが、真珠煙管を違法に入手して喫煙することなどありませんように。あれは診療所で心神喪失の診断を受けた方が薬として吸うものであり、健康な未成年が安易に手にするものではありません。……癲狂院に入っていたという方でしたら話は別ですが」

 教師から侮蔑の感情が見え隠れする忠告の言葉が出て、由乃はなお辟易した。由乃には姉ほどの薬の知識は無いが、真珠煙管はそこまで重篤な患者に用いるものではなく、むしろ日常生活の助けとなるように気持ちを落ち着けるためのものであると知っている。姉がこの教師の発言を聞いたら逆鱗に触れるに違いない。

 担任教師のあまりの無知にうんざりしながら、由乃はただ教師の話が早く終わって下校の時間になることを待っていた。

 

「ああ、疲れた! 峯澤先生、話長すぎ!」

 由乃は下校の挨拶が終わって教師が教室を出た瞬間に、宝生 鼓梅の席に寄って行った。ほぼ同時に、いつも一緒にいる水樹 の々かも集まってきた。

「仕方ないですわ、先生はただ生徒に警告を促すよう上から言われているだけでしょうから。言い回しが少しいやらしいのは私も同感ですけど」

 帰宅の準備を進めながら、鼓梅が相槌を打つ。

「え? 峯澤先生何か変な事言ってたの?」

 二人の会話に、の々かはぽかんとした顔で問いかけていた。この反応は、恐らく差し障りない顔をしつつ教師の話など何も聞いていなかったに違いない。まあ、そんな風に対応するのが一番頭がいいとも言えるけれども。

 鼓梅との々かは、同じ教室で由乃が仲良くしている友だった。鼓梅とは女学校入学時からの付き合いであり、の々かとは高等学年になってから。二人とも、由乃にとっては気心の知れた友だった。

「の々かちゃん、また聞いてなかったのね。その調子だと、途中で私が名指しされたのも気付いてないでしょう」

「えっ、全然わからなかった。そんな事あったんだ」

「の々かさんは相変わらずね」

 の々かの気楽さに、由乃はかえってささくれ立っていた気持ちが和んでいった。何も意に介してない友を見ると、ぴりぴりしていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。

 鼓梅は印象のきつい由乃と違い、如何にもお嬢様然としていて顔付きも柔和だ。上半分の髪を結い上げて、大きな赤い天鵞絨のリボンを付けている。柔らかい面立ちの割に頭は切れて、たまに言葉の端々が毒付いていても一瞬それと気付きにくい。流石は大地主の娘と言ったところだ。の々かは、顔立ちこそ十人並みであるがこれと言って特筆するほど見劣りする部分は無く、逆に言えば比率が整っていて男性受けの良さそうな愛嬌のある顔だ。こちらは髪をふたつに結って、青い組み紐で括っている。噂話が大好きで、少々意気地の無いところが難点とも言えるが、それはそれで女性らしいとも言える。

 同じ女学校の生徒であるので皆着ている制服は同じセーラー服だが、みなそれなりに個性があって面白いと由乃は思う。

「そんなことより! 今日凄い事聞いちゃったのよ!」

 ああ、また噂話が好きなの々かの「凄い事」が始まった、と由乃は思った。の々かはずっと話したくてしょうがなかったと言わんばかりに目を爛々とさせている。

「天鏡沼で心中したエスの女学生二人の話は前にしたでしょう?」

 の々かの言葉に、由乃はどきりとした。つい先日、文無あやなしと姉から天鏡沼の龍神伝説の話を聞いたばかりだ。

「ああ……その話。先生方は誰も表立ってその話はしませんが、まことしやかに囁かれておりますわね。『お姉様』の親が決めた婚姻を苦にして、二人で入水自殺したんでしたっけ……」

「毒を煽ったという話もあるわ。だけど、その『お姉様』のほうが亡くなって、『妹君』のほうが生き残った……」

「『お姉様』のほうが確か、月宮雫先輩ですわね」

 鼓梅から具体的な名前が出てきて、由乃は更にどきりとした。

「月宮先輩!? 月宮先輩って、お嫁入りのために中退なさったんじゃ……」

「しーっ」

 鼓梅が口元に指を当てて牽制したので、由乃は思わず自分の口を両手で抑えた。ということは、これはあまり大声で話題にしてはいけない内容……ということなのだろう。

「このような話題は小声のほうが懸命ですわね。それでなくても由乃さんは目をつけられ易いのですから」

「すみません……」

 言われてさりげなく周りを見回すと、確かに何人かの女学生が由乃の方に目を向けていた。すぐにそそくさと目を背けてしまったが。

 こういうところは女学生の少し苛つくところだ。言いたいことがあるのならはっきりと言えば良いのに、と由乃は思う。心の内側に溜め込まれた感情というのは、本当に由乃には実害が及ぶ恐怖の対象なのだ。

 しかし、注目を浴びるのは本位ではない。由乃は口を噤んで、二人の会話を伺った。

「お嫁入りの中退なんて、表向きなんですのよ。月宮先輩の中退の手続きがされてすぐに、あそこの御宅では葬儀が行われていたのですから。密葬でしたけれどもね」

 家が家だからなのか、鼓梅は妙にそういうところが聡い少女だった。

 内心、由乃は衝撃を隠せなかった。月宮雫は、由乃が一時期心良く思っていた上級生であったからだ。周囲からの人気も高い先輩であるので『お姉様』になってもらえるとは流石に思っていなかったが、稀にご挨拶頂いた時などに夢想するぐらいの好意は寄せていた。

「月宮先輩が、亡くなっていただなんて……」

「二人とも、まだ話は終わってないわ。むしろこれからよ!」

 の々かが二人を鼓舞する様に声をかける。あれ、私は今目立たないようにしろと言われなかっただろうか、と由乃は内心で首を傾げた。

「亡くなったのが月宮先輩だとしたら、その時生き残った『妹君』は……」

 の々かが言い終わらないうちに、廊下の方からざわめきが聞こえてきた。声にならない声、一抹の畏怖とそれを上回る好奇心の囁き。

 その中から、ただ意識だけで、由乃の胸に突き刺さり心を抉り出すような、凄まじく激しい感情が入り込んできた。思わず由乃は胸元を掴んだ。姉から渡された水晶は身につけている。ということは、これが効かないほどの相当に強い感情だ。

 三人とも、思わず廊下に駆け寄って他生徒達の目線の先を追った。そこには、髪を肩の上で切り揃えた目付きの鋭い女学生の姿があった。スカーフの色が紺色なので、由乃たちのひとつ上の上級生だ。

 一瞬だけ、彼女と目が合った。その瞬間、今の胸を抉られる感情は彼女から流れ込んできたものだと確信した。由乃に向けられたものではない。これは、当てもなく……むしろ、彼女が自分自身に向けている凄まじい憎悪。そして、悔恨。

 そして由乃は、その流れてくる感情に翻弄されながらも彼女から目を離すことができなくなっていた。あまりにも、あまりにも彼に似ていた。

染夜そめや……」

 その呟きは周囲の騒めきに紛れて、由乃の頭の中で苦く溶けていった。

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