朝露に濡れた紫陽花が淑やかに咲き誇る季節だった。
その人の長い髪は艶やかに風に揺れて、矢絣の着物の肩を掠める。裾に一本線の入った臙脂色の袴は自分と同じ國立雲水峰高等女学校の制服だが、着ている人間が違うだけでこうも映えるものか。私は羨望の眼差しで高学年の彼女を見つめた。
私の視線に気付いたのか、彼女がふわりとこちらを向いた。口元には微かな微笑みをたたえて。
「どうしたの?」
この、凛とした声に恍惚とする下級生は少なくない。恥ずかしながら自分も、その一人だ。
「先輩は……」
「ん?」
「先輩はどうして、その……特定の『妹』君を持たれないのですか?」
私の問いかけに、先輩は少し驚いた顔をした。その後にやや困ったような微笑み方をしたので、あぁ、聞いてはいけなかったのだ、と自分を恥じた。
だけど、出してしまった言葉は戻らない。それに、知りたい。何故なのか。
「先輩を慕う下級生はたくさんいます。ご存知ない訳ではないでしょう。誰か、心に決められた妹君がいらっしゃるなら、私たちも諦めがつきました。でも、先輩はついぞ今までお独りを貫いておられた」
こうなるともう止まらなかった。目の前の彼女は私の言葉に、静かに耳を傾けている。
「それでいて、こうして時々、私のようなものにも時間を割いてくださいます。何故ですか……」
ああ、言いたくない。ここから先は、言いたくないのに。
「期待、してしまいます」
気がつくと、目に涙を溜めていた。先輩のお姿が滲んで表情がわからない。涙を流さないようにと堪えていたが、気がつくと先輩はその自分の目元にそっとハンカチーフを当てていた。もう片方の手で風に揺蕩う私の髪に触れながら。
「可愛い人」
ふわりと鼻腔をくすぐるのは、花の香りか、それとも。
「これ、なんだか知ってる?」
先輩は懐から首飾りを取り出した。先端についている石は乳白色をしていて、時折青白く輝きを放つ。
「月長石……」
「貴女にだけ教えてあげる。二人だけの秘密よ。あのね……」
月長石の煌めき越しに、先輩の柔らかな視線を感じる。彼女の瞳の虹彩に月長石が映り、その美しさに私はただ心を奪われていた。
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