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極楽堂鉱石薬店奇譚

月長石の秘め事

月長石の秘め事 一話

 吐き出した真珠煙管の蒸気が、店の中をゆっくり漂う。奈落はぼんやりと手にしている硝子の煙管を眺めた。火皿に入れた真珠は薬液で溶かされて、飴玉のように小さくなっている。そこからなおもじわりと、燻るように蒸気が漂っていた。

「こんにちはぁ。極楽堂さんいらっしゃいます?」

 ドアベルが鳴って間の抜けた声が聞こえてくる。番頭に座っていた奈落は入り口に目を向けると、先日の風吹とかいう闇医者が店の中に入ってきていた。

 風吹は奈落を見つけると、ニカッと笑って近づいて来た。

「あれ、真珠煙管ですか? いやあ、二枚目が吸うと様になるなぁ。何か懸念事でも?」

「なんでもありませんよ」

 そう言い捨てると、奈落は灰皿に火皿の中の真珠を捨てた。真珠は既に光沢を失い、その核だけを残していた。

「先日はどうも。ナタクさん、でしたっけ?」

「奈落です。どうも」

 名前すらうろっとしているのに、妙に馴れ馴れしい。先代の知人ならこの店を知っていても何ら不思議はないが、先日知り合ったばかりの奈落は妙な居心地の悪さを感じた。

「じい様なら日中はここにいませんよ。最近は夕方に顔を出す程度です」

「ああ、まぁそうでしょうね。もう完全にそちらさんに店を譲ったと言ってましたし、あの爺さんは帰る家が沢山ありそうだ、ははは。別に極楽堂さんじゃなくてもいいんです。病院で使う薬を調達したいだけなんでね。二代目でも僕は構わないですよ」

 そう言うと、風吹は先代の時から使っている注文書を奈落に差し出した。奈落はそれを受け取って目を通す。

 鎮痛、解毒、解熱、消化器系から神経系、精神安定作用のものまで、当たり前だが注文は多岐に渡った。鶏冠石や辰砂など毒性の高いものが散見されるのが少々気掛かりだったが、そもそも薬とは使い方によっては何でも毒だ。病院なら尚更、効果を優先してリスクを止む無しとする事もあるだろう。

 だが、そこまで思考を巡らせて、奈落はふとこの医者が「死神」という二つ名で呼ばれている事を思い出した。奈落は注文書を手にしたまま、無言で風吹の方に視線を向けた。

「あれ? なんですかその目は。やだなぁ、疑ってるんですか? いくら僕でも患者に毒なんか盛りませんって」

「どうだか。どうも私は常盤さんを信用できませんでね」

「ええぇ? 信じてよぉ。僕一応君のおじいさんの知り合いよ?」

 そうなのだ。胡散臭さ丸出しのこの闇医者は、こう見えてあの先代のツテなのである。

 奈落は、はぁ、と溜息をついて、注文書を薬棚に貼り付けた。病院なだけあって、注文量はなかなかに多く、取り敢えずまとまった金額にはなりそうだった。奈落は算盤を出して注文書を見ながら弾くと、その算盤を風吹の方に差し出した。

「大体、これぐらいですかね。前金で出せます?」

「マジで?」

「結構入手が難しいのも含まれてますので、これでも良心的かと」

「むむむむむ」

 風吹が算盤とにらめっこしてる間に、奈落は石の在庫を確認した。

 やはり、いくつかは取り寄せが必要そうだ。比較的取り揃えが自慢の店ではあるのだが、流石に医療機関からの注文となると不足するものが出てくる。だが、ツテがないわけでは無い。このぐらいなら行商に頼めば揃いそうだ。奈落は次に行商が近くまで来る予定を確認した。

「ええと、常盤さん。これは急ぎで必よ……」

 バサバサバサッ。

 風吹は無造作に持っていたドクターバックから、紙幣を番頭台にぶちまけた。ぱっと見だけで、それは相当な金額である事が奈落にもわかった。

「数えるの面倒臭くなっちゃった。これで足りる?」

「多分、お釣りが出ますね」

「そっ。良かった!」

 そういって風吹はニカッと笑うと、寝椅子に勢いよく座り込んだ。奈落はしばし頭を抱えて、番頭台に散らかされた紙幣をまとめて数え始めた。

 成る程、腐っても医者だという事か。しかし、これ程の金を無造作に持ち歩く感覚も、奈落には少々理解できなかった。そしてその割に、成金な格好をするでも無く、以前会った時と同じ草臥くたびれれた白衣を身に付けている。髪の色は荒れてやや茶色くなっているし、医者であるというのに長い前髪で片目を隠すという見晴らしの悪そうな髪型をしている。風吹というこの医者は、いまいちよくわからない人間だった。

「あ、あとさぁ旦那」

「旦那?」

「そっ、旦那。いつまでも二代目とか呼ぶのもなんだかなぁと思って。多分あれでしょ? 性別誤魔化してるんでしょ? 女が本気で手に職つけるとなると、そっちの方が都合いいもんね。だとしたら名前で呼ぶよりも、旦那の方がいいかなと思ってさ。どう?」

「いやまぁ、それはお好きに」

「うん、じゃあ僕はそう呼ばせてもらうね。でさ、僕の事は風吹でいいよ。常盤さんじゃなくて風吹。はいリピィトアフタミィ」

「風吹さ」

「ノン! ふ・ぶ・き。『さん』はいらないよ。はい続けて」

「……風吹」

 奈落が言いづらそうに風吹の名を呼ぶと、風吹はまたニカッと笑った。

「いいねぇ。今日から旦那と僕は友達だ。宜しくね旦那」

 唐突に友達宣言をされてしまった。なんだか奈落も毒気を抜かれてきて、ふっと表情を緩め始めた。

「変な奴だな」

「それはお互い様でしょお? 旦那なんか虫も殺さなさそうな顔してさ、余所の奥さんに手を出しちゃうんだもんなぁ」

 ドクン。

 奈落は風吹の言葉に、胸を射抜かれたような衝撃を覚えて風吹を見返した。そんな奈落の表情に、風吹は事も無げに言葉を続けた。

「見ちゃったんだよねえ、僕。旦那、あれはまずいよ。辺氏、ご立腹だったよ?」

「どういう事だ」

「そのまんまの意味だよ。僕、あそこのおじいさん看取ってるからさ。こないだの法事に呼ばれたんだよね」

 法事。そういえば、先日千代は三回忌だと言っていた。あれっきり、千代は店にも顔を見せないし、手紙もふつりと来なくなっていた。

「奥さんさ、額に怪我してたよ。髪で隠してたけど、職業柄わかっちゃうんだよね」

「馬鹿な⁉︎」

「いやいやいや、ちょっと考えればわかるでしょ。ああいうご主人は腹いせに奥さん殴るのなんか普通だよ?」

 奈落の脳裏に、先日窓越しに見た辺氏の姿が浮かんだ。苦虫を噛み潰したような辺氏の表情に、奈落が微かな愉悦を感じていなかったと言えば嘘になる。

「一見、男に見えてもおかしくない旦那がさ。そういう事すればそうなるのは目に見えてるじゃない。全然想像もしなかったの? ちょっと軽率だったんじゃない?」

「!」

 奈落は弾ける様に番頭台から出ると、風吹の横を走って通り過ぎた。

「ちょっと! 店はどうすんのさ!」

「悪いが閉めておいてくれ! 札を掛けておいてくれればいい!」

「あぁ、はぁい。いってらっしゃい、気を付けてね」

 奈落は引き戸を開け放ったまま、辺家の方へ走って行ってしまった。風吹はそんな奈落を呑気に見送ると「営業終了」の札を掛けた。

「あれ? 旦那、帽子落としていっちゃったよ」

 風吹は奈落の中折れ帽を拾うと、砂を払って自分の頭に被せた。奈落の頭の癖がついた帽子はあまり風吹には似合わなかったが、風吹はあまり気にしてはいなかった。

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