「……ふふふ、由乃さんは御侠なのね」
真珠煙管をくゆらせながら、柘榴は由乃の話に耳を傾けていた。
御侠だと思われるのは由乃にとっては甚だ不本意だったが、峯澤とのやり取りを話せばそう思われても仕方ないかもしれない。何せ由乃は峯澤に目を付けられることが多く、由乃も身近な面白い話と言えばそんな峯澤とのどたばたした逸話が多いからだ。
先日と同じ校舎裏で、由乃はまた柘榴と会っていた。別に柘榴と申し合わせた訳ではないが、先日の様子だと下校時間頃にここで人目に付かないよう真珠煙管を吸っているに違いないと思ったからだ。その由乃の読みは当たっていて、由乃が裏口から外を覗くと、そこには真珠煙管の準備を始める柘榴の姿があった。
「……でも、私そんなに御侠でしょうか。私のこの目や容姿は目立つかもしれませんけど、私は普通にしているつもりなのですけれども」
「ふふ……多分、容姿だけではないと思うわ。それに、普通の女学生は悪い噂のある上級生を追いかけて出歯亀なんかしないものよ?」
「……う。いやあれは、結果的にそうなってしまっただけであって……」
それを言われると由乃は弱い。確かに、衝動的に動いてしまう部分はあるからだ。
しかしその話題で由乃は、昨日柘榴に近付いていた書生のことを思い出した。
「あの……柘榴先輩。昨日の……あの男性は……」
由乃からはちらりとしか見えなかったが、彼は柘榴に触れようとしていたように見えた。それに「私がお近付きになりたかったのは」というその言葉の続きは、柘榴の事なのではないだろうか。
しかし、由乃の問いに柘榴の表情はたちまち蔭りを見せた。しまった、と思ったが、発してしまった問いは取り消すことはできない。
「ごめんなさい……あの……」
「いえ……いいの。……彼は芳崎和葉さんといって……雫先輩の婚約者だった人」
「……ええっ!?」
「芳崎工業というと、おそらく貴女のお姉さんは耳にしたことがあると思うわ。採掘した鉱石の加工なども手掛けているから、確か石薬屋にも商品を卸しているはずよ」
「芳崎工業……?」
由乃は耳にしたことがない会社だった。店に商品を卸しているとすれば何某かで名前を見ていてもおかしくないのだが、まったく聞き覚えがない。そもそも、極楽堂では原石や素石を直接入荷し店で加工しているため、その仲介の加工業者はあまり利用していなかった。
「彼はその芳崎工業の次男で……確か、今は小説家を目指して書生をしていると聞いているわ。雫先輩の家も私の家と同じ硝子加工業で……雫先輩のところは、芳崎工業と繋がりがあったんですって」
つまりは、政略結婚というわけだ。珍しい話ではない。自由恋愛が謳われるようになってきたといってもそれは帝都のモガ・モボたちの話であり、このあたりのような中途半端に栄えている地方ではまだまだ親族が結婚相手を決める場合のほうが多いのだ。
「えっ……でも、彼は昨日柘榴先輩に……」
咄嗟にそう呟いてしまったが、柘榴があからさまに嫌悪感を示したのがわかった。
「あっ、ごめんなさい……」
「……いえ、貴女は悪くないわ。……そうね、彼の婚約者は雫先輩だったけど、そう……らしいわ。だけど、雫先輩が死んで私だけ生き残って……とてもじゃないけどそんな話聞けない。そもそも私たちは、その婚約を苦にして……」
「……あの!」
思わず、由乃は声を上げていた。これ以上柘榴に辛い話をさせたくない、そう思ってのことだったが、正直その後なんの話をすればいいのか全く考えていなかった。由乃は呆気にとられた柘榴に見つめられて、言葉を詰まらせた。
「あの……ええと……れ、廉価品の煙管と、医療用の煙管ってどう違うんですか?」
咄嗟に出てきたのは、そんな話だった。違う、別にそんな話を聞きたい訳じゃないのに。
柘榴は由乃の問いに目を丸くして、その後真剣に考え込んだ。何か、居た堪れない。
「そうね……見た目で一番違うのは、その色合いかしら。私が使っているような正規の煙管は装飾が無くて簡素な見た目だけれども、最近出回っているという廉価品の煙管は紅い色が入っていてびいどろのように美しいと聞くわ」
「紅い色……」
「……その廉価品を作っていたのが、月宮硝子店……雫先輩のお家なのよ」
「……えっ」
それは、寝耳に水の話だった。という事は、正規品を扱う家としては忌むべき廉価品を扱う店の家という、敵対する家同士の娘同士がエスの関係だったという事になる。
「……まるで、ロメオとジュリエッタですね」
由乃がそう呟くと、柘榴は不思議そうな顔で小首を傾げ由乃を見返した。
「それは……物語なのかしら?」
「ご存知ないですか? 意外……あっ、すみません」
「気にしないで、家の仕事を手伝うことが多いせいか、余り本は読まないの」
「英國の文学で、昔シェークスピーアという方が書いた戯曲です。敵対する家同士の息子と娘が恋に落ちて、逢瀬を重ねるも家からの反対にあう悲恋の物語です」
「そう……由乃さんは物知りなのね」
そう言って、ふわりと笑う柘榴に由乃は胸が痛んだ。確か、あの話は最後に二人とも毒を煽って死んでしまうのだ。その結末は、あまり柘榴に話したいとは思わなかった。あまりにも柘榴と雫の状況に似過ぎているからだ。
その時、学校の鐘が鳴った。終業後も残っている生徒の下校を促す鐘だ。
「いっけない……お姉ちゃんに店を手伝って欲しいって言われたんだった」
「お姉さんに?」
「いつも喫茶のほうの女給をしてくれている方が最近あまり出てこれなくて……学校が早く終わったら私に手伝ってほしいって言われてたんです」
「あら、そうなの……」
「すみません、私先に帰りますね」
「ふふ、構わないわ。私はもう少しここで休んでから帰るから……お姉さんによろしくね」
「はい!」
由乃は鞄を背負うと、校舎の中に入る扉に手をかけ、振り返って柘榴に手を振った。柘榴もまた薄く笑って由乃に手を振り返したのを確認すると、由乃はそのまま走り去っていった。
しばらく走り、下校口の近くまできたところで、由乃は校舎裏に忘れ物をしてきたことに気が付いた。裁縫の宿題が出ていたのに、教室を出るときは手にしていた裁縫道具箱を今手にしていなかったのだ。
「やっば、峯澤先生に怒られる……」
由乃がそう呟いた瞬間、背後でその峯澤の声がした。
「どういうことです!」
由乃はどきりとして、恐る恐る後ろを振り返った。そこには確かに峯澤がいたのだが、その峯澤の目線の先は由乃ではなく、別な女学生だった。
「真珠煙管は禁止されていることぐらい知っているでしょう。これはどういうことですか?」
峯澤の手には、紅い硝子の煙管があった。なるほど、あれが模造品……月宮硝子店の煙管なのだろうか。
「あの……私……あの……」
可哀そうに、怯えた女学生はなかなか声を出すことが出来なくなっている。あんな風に頭ごなしに叱りつけては、言うことも言えないだろうに。しかし由乃は薄情にも、峯澤に怒られた対象が自分ではなくて良かったと胸を撫でおろしていた。
「ごめんなさい……煙管があまりにも綺麗で……それに、これを喫むと気持ちが落ち着くと……」
そこまで言いかけて、少女はしばらく咳き込んだ。そういえば、先日教室でも咳をしている生徒がいた。随分風邪でも流行っているのだろうか。
少女の咳が落ち着いた頃、峯澤が小さく溜息をついた。
「……わかっていませんね。それは気を病んだ人間が服用するものです。女学生が気安く喫むものではありません。大体、その雲水峰の制服を着て真珠煙管を喫んでいるところを見られて御覧なさい。学校の名に泥を塗ることになるのですよ」
「……はい、申し訳ありません……」
「この煙管は没収します。貴女も雲水峰の女学生だという自覚を持って生活なさい。いいですね?」
「はい……」
女学生は泣きながら、峯澤の言うことに頷いていた。
聞いてられない。由乃はそう思い、そっとその場を立ち去って校舎裏の入り口へまた走っていった。
由乃が再び校舎裏の入り口に近付くと、微かに話声が聞こえてくるのがわかった。片方は柘榴の声だったので彼女がまだ立ち去っていなかったのだとわかったが、もうひとつの話し声は男の声……昨日の和葉という書生のものだろうか。
由乃はつい聞き耳を立てそうになったが、昨日それで失態を犯した事を思い出してその場を立ち去ろうと思った。しかし、裁縫道具はそこにあるのだ。どうすればいいのだろう。
「……ええい、これは不可抗力だわ」
由乃は聞こえないようにそう呟くと、息を潜めてその会話に聞き耳を立てた。
「……そうですか、どうしても……」
これは昨日聞いた声と同じだ。やはり、そこにいるのは和葉で間違いない。
「ええ。雫先輩の喪も開けないうちにそんな話は……私には無理です」
「そう……ですよね。すみません……貴女の迷惑も考えずに……」
「いえ……」
会話は既にひと段落ついたように聞こえる。また和葉が柘榴に言い寄るようなら、恥をかくのも厭わずにまた大声を上げて退散を促そうかとも思ったが、この様子だともうすぐ和葉は立ち去るだろう。そうすれば、由乃も裁縫道具が取りに行ける。ここは穏便に済ますのが良さそうだ。
「……ところで、覚えていない……というのは」
「……はい?」
「心中の時のこと……何も覚えておられないのですか?」
その瞬間、由乃は妙な違和感を感じた。違和感というよりは、奇妙な「匂い」だろうか。
恐らくは思い出したくない事を掘り返されている柘榴の嫌悪感なのだろうと由乃は推測した。
「……あの日、何があったのか……私は殆ど何も知りません……覚えていません。覚えているのは……既に亡くなられていた雫先輩のお顔だけなんです。……その前後は曖昧で……気付いたらもう、癲狂院に入れられていました」
「……そう、ですか」
男というものは、こう無神経なものなのだろうかと由乃はイライラした。そんなことはわざわざ聞くまでもなかろうに、なぜ今そんなことを敢えて聞いたのだろう。柘榴を想うのであれば、そこは気を遣うものではないのだろうか。
「どうするべきか迷ったんですが……これを、貴女に」
「……これは」
和葉が何かを柘榴に渡したようだ。声だけに聴き耳を立てている由乃には、和葉が何を渡したのかが確認できない。もどかしかった。
「雫さんの遺品です……私が預かっていました。お立場上、難しいとは思いますが……これをどのようにされるのも、柘榴さんの自由だと思います」
由乃は意を決して、扉の隙間を少しだけ開けて外を覗き見る事にした。音を立てないように気をつけて隙間を開けそこに目を押し付けると、ちょうど柘榴が和葉から何かを受け取り、和葉が柘榴に何か耳打ちをしているところだった。
「……!!」
由乃は息を飲んだ。柘榴の手に握られていたのは、先ほどの女学生から峯澤が取り上げたものと同じ、紅い色の入った硝子煙管だった。
「……あれを……雫先輩が? いや……そういえば雫先輩のお家が……」
つい、そう呟いていた。その瞬間、和葉がこちらを見たような気がして、由乃は慌てて扉の隙間から体を離した。
「……それでは、私はこれで」
そう言って、その場を立ち去る和葉の足音に由乃は安堵の溜息をついた。
そのまま息を潜めて、どのぐらいが経ったのだろう。突然カシャンという乾いた音が響いて、由乃はまた隙間から外を覗き込んだ。
見ると、柘榴の手の中にあった硝子煙管は無くなっていた。代わりに、柘榴の足元にあった石の周りに赤みを帯びた硝子の破片が散らばっている。柘榴の肩が震えている。ちらりと見えた柘榴の表情、そして流れ込んでくるこの「匂い」は、怒りのそれ。
由乃はとっさに口元を抑えた。の々かが言っていた噂話が脳裏を過ぎる。
『柘榴先輩と月宮先輩の家は商売敵だから、柘榴先輩が家のために月宮先輩を心中に見せかけて……とか……』
彼女にそんなことがあるわけないと思う。しかし、今目にしているのは怒りの表情で、商売敵の家が作った煙管を壊した柘榴の姿だ。
思わず、由乃は跳ね上がるように立ち上がり、そのままその場を走り去った。気持ちの整理がつかない。今目にしたものをどう飲み込んで噛み砕いたらいいのかわからない。気付くと目尻には涙も滲んでいた。構わず由乃はそのまま廊下を駆け抜けた。
もはや裁縫道具どころではなくなり、それを置いて来たことすら由乃は忘れてしまっていた。
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