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LAYER :: 魂の階層

HELLO // 初期接続

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 カランカランという軽やかなドアベルの音を鳴らしてそのドアを開けると、香ばしい珈琲の香りと共に明るい女性の声がこちらに向けられた。

「いらっしゃいませ! ……あら、侑子さんと晴彦さんですね!」

 スタッフの一人で、ここのマスターの妻である奈美子の声だった。侑子はふっと口角を緩ませた。白いシャツに黒いマーメイドスカート、その上から黒いエプロンをかけた奈美子の装いは、いかにも喫茶店の店員といった風で好ましい。肩よりも少し長いその髪は、ヘアクリップできちんとまとめられていて清潔感があった。

「こんにちは。ごめんなさい、今日は客じゃなくてね。マスター、いる?」 「いますよー、ちょっと待って下さいね!」

 侑子がそういうと、奈美子は奥の部屋へ小走りで走り去っていった。  リュミヌー珈琲の実店舗は、細い道路に面した場所にある。立地として駐車場が狭く、車で訪れるのはなかなか抵抗がある場所だ。だが、それをものともしない常連客で今日も賑わっていた。店内は一面レンガ風の壁紙が貼られ、天井からはいくつもの種類の違うランプが吊り下がっている。鉱石やハーバリウム、地球儀、宝箱など、まるで錬金術師か魔女のアトリエのようなオブジェが並んでいるが、一際目を引くのはやはりあちこちに無造作に置かれた武器の類だった。洋剣や日本刀、物々しい手甲や槍など、レイヤ支店にも引けを取らないラインナップは、現実世界であるにも関わらずリュミヌー珈琲という場所の異世界情緒を醸し出している。

「あ、この曲知ってる。俺の好きなゲームの音楽だ」

 晴彦がそう呟いた。曲を知らない侑子からは厳かなオーケストラの曲に聞こえたが、どうやらそれはゲーム音楽をアレンジしたものらしい。ほぼ間違いなくマスターの趣味だ。  侑子が手持ち無沙汰気味に入り口付近の物販エリアを眺めていると、奥の焙煎室からこの店のマスターがやってきた。晴彦ほどではないがそれでも一般男性に比べると細身の体をしている。水色のシャツと濃色のデニムパンツ、黒いエプロンには「いらっしゃいませ」の白い文字が入っていた。

「こんにちはー! あ、この前は豆のご注文ありがとうございました!」 「いえいえ、家の豆がもうすぐなくなりそうだったので」

 侑子は笑って応えた。こんなにすぐ店にくることになるなら何もわざわざレイヤ店で買ったりはしなかったのだが、まあ止むを得ない。

「今日はあっちの部屋ですよね?」 「ええ、そうです」 「どのぐらいかかります? すぐに済むなら帰りにご注文の豆、お渡ししちゃいますけど」 「うーん……ちょっと現状ではわからないんですよね。夜までかかるかもしれないし……」 「マジですか。今日は私テッペンまで焙煎してると思うので、それまでだったら声かけてもらえれば。それ以上かかりそうなら、店の鍵もそこに入ってるので、すみませんけどあとお願いします」 「そこまで長引かせたくないですけどね。マスターもお疲れ様です」 「いやいやいや……」

 話をしながら、マスターは晴彦に鍵束を手渡した。歯車と羽のモチーフが入ったキーホルダーに繋がれた鍵たちは、天井のランプの灯りを淡く反射していた。  マスターに案内されて、晴彦と侑子は店の奥へと入っていった。席の隣にある衝立の裏に入ると、そこにもうひとつ扉がある。マスターは頭を下げて、焙煎室へと戻っていった。晴彦は手渡された鍵の中のひとつを、その扉の鍵穴に差し込んだ。

********

『なるほどね。そりゃ確かに、こっちの管轄だろうな』

 暗い部屋の中にうっすらと珈琲の香りが流れ込んでくる。晴彦が持ち込んだラップトップPCのモニターがその暗い部屋を照らし、その中にはやや体格のいい眼鏡の男が映っていた。

「やっぱりそう思います? 榊さん」 『ターミナルケアの患者ってのが如何にもじゃねえか。あいつらが狙いそうなターゲット層だよ』 「ですよね……はい、こちらのセットアップ完了です」

 簡単なデスクの前に座った晴彦がモニターに向かってそう告げるのと同時に、目の前の椅子型VRデバイスのLEDが光り、起動を開始したことを表していた。  侑子は胸の下で、左手の拳を握りしめるように手を組んでいた。指の間から見える左手薬指には、晴彦から渡された指輪型の共鳴装置レゾネーターが付けられている。それは、淡く緑色に光っていた。  晴彦はその共鳴装置レゾネーターにちらりと目を向けると、モニターに目線を戻した。

共鳴装置レゾネーター、グリーン。問題無いですね。正常値です」

 淡々と告げる晴彦の言葉に、榊と呼ばれたモニターの向こうの男はわざとらしい溜息をついた。

『進藤よォ……お前、曲がりなりにも結婚相手だぞ? もうちょっと情緒ってもんは無いのか?』 「はあ」 『共鳴装置レゾネーターは、霊媒体質者のエーテル体と同期してその反応を可視化する役割もある。確かに緑は緑だが、よく見てみろ。青みがかってるじゃねえか。お前の嫁さんは緊張してるってこったよ、可哀想に……』 「問題無いです」

 榊の言葉を遮るように、侑子はそう告げた。固い表情のままわざとらしく笑って見せると、もう一度言葉を繰り返した。

「問題無いですよ、榊さん。晴彦がそう言うんですから。それに……初めてでもないですしね」

 そう言うと、侑子は光を帯びた目の前のデバイスに跨り、腰を下ろした。その椅子型デバイスは所謂型落ち製品をなんとか手に入れて晴彦と榊が改造したものだった。NeuroSync社製のN

-Voidシリーズは他のVRデバイスに比較しても没入感が段違いなのだが、何よりも医療や介護の現場での使用も想定されているためログイン中のバイタル値を細やかに計測できる。そのため、晴彦の使用目的に沿って手を加えるのに一番適していた。ただ、製品開発には携わったことのない二人の改造であるので、基板もコードも剥き出しの状態であるし、本当にただ「使える」だけといった無骨な見た目と化している。比較的肝は座っていると自覚している侑子でさえ、そのデバイスの前に立つと不安を隠せなかった。

(本当に、こんなもので)

 言葉にはしなかったが、内心でそう呟くと、侑子は小さく溜息をついた。グローブなどを淡々と身に付けていく侑子を、しばし晴彦はぼんやりと眺めていた。

『おい』 「なんですか?」 『いい嫁さん貰ったじゃねえか』

 その榊の呟きに、晴彦はニヤッと笑ってみせた。

「でしょう? あげませんよ」 『間に合ってらぁ!』

 二人の軽口を聞き流しながら、侑子はゴーグルを付ける。ゴーグル内のモニターが生体反応をスキャンし、起動画面を表示した。本来のN-Voidシリーズとは違う起動画面。榊が持ってきたモジュールチップを組み込んだことで、本来のOSから切り離された独自のBIOSが走っているとかなんとかと聞いたが、コンピューターのことは侑子にはよくわからなかった。

【リンク・シーク中】 【エーテル共鳴確認】 【Etheric Dive Protocol v0.92 Boot up】

(要は、おれの生霊をレイヤに移送するための装置、ってことらしいが)

 起動画面に羅列する文字を、意味がわからないなりに目で追う。EthericDiveプロトコル。それがこの装置……【AetherLink】の中核となるものであるらしい。侑子は他にも晴彦に説明されたことを思い出そうとしたが、途中でやめた。要は、侑子が意識を保ったまま、生霊となってレイヤを探る。そういうことだ。

「バイタル値正常。エーテルの共鳴値、安定」 『座標を確認するぞ。件の患者がいるってのは、コンテンツ【EDEN】だったな?』 「はい……座標チェックしました、問題ありません」

 晴彦は榊にそう伝えると、不意に椅子から立ち上がった。そしてAetherLinkの中にいる侑子に近付くと、既に視野が外界から遮断された侑子の頬に顔を寄せて、口付けた。

「じゃあ、お願いね?」

 ゴーグルで侑子の表情はよくわからなかったが、一瞬驚いたようだった。しかし、すぐに侑子はニヤリと笑った。

「晴彦、おれを舐めるなよ? 戻ったら、見返りを期待してるからな」 「ダイバー、準備完了。Etheric Dive、開始します」

 晴彦はそう言いながら、デスクの前に戻った。ラップトップのエンターキーを叩く音と同時に、AetherLinkは一際強く輝いた。そしてその輝きが落ち着いた頃には、侑子は意識を失っていた。

『ダイバー、分離成功。座標に誘導するぞ』 「よろしくお願いします」

 しばしの静寂の後、マスターが焙煎を始めたのか機械的な低音がうっすらと響き始め、この隔離された部屋にも香ばしい香りが漂ってきた。その中で、ただキーボードを叩く音だけが、しばらくの間部屋の中に緊張感を走らせていた。

********

 意識が浮上すると、そこは既にレイヤの世界だった。  侑子は周りを見回した。通常のVRゴーグルを装着し、アバターで動き回るのとは違う……妙な感覚だった。ホテルのような建物の廊下に侑子は立っていたが、その風景はモニター越しにいつも見ている3Dの風景であるにも関わらず、不思議と現実感があった。  侑子は、立っていた位置から一番近いドアに手を差し伸べた。ついドアノブに手を伸ばしてしまったが、普通に通り抜けられることを侑子は思い出した。そのまま、侑子はドアを通り抜けて部屋の中に入った。  そこは、病室のような場所だった。奥にベッドが置いてあり、一人のアバターが横になっている。ベッドの横に立っているのは、先日の医者——風吹だった。

「ねえ、旦那。今日はどこにも行かないのかい?」

 会話が聞こえてきた。侑子は向こうから見えないとわかりつつも、本棚のようなオブジェクトの影に隠れて様子を伺った。

「そうだな……行きたいと思っていたところは、あらかた先生が連れて行ってくれたからな」 「まだ行ってないところがあるんじゃない? そうだ、サグラダ・ファミリアなんてどう? EDENの西地区にバルセロナの街並みを再現したところがあってね。そこにサグラダ・ファミリアもあるって聞いたよ」 「あれはなぁ……完成する前は見たくてしょうがなかったんだけどな。完成したって聞いたら、興醒めしてしまったよ」 「そんなこと言わずにさ。こんなことになってしまったけど、折角なら楽しんじゃおうよ」 「先生」

 ベッドの中のアバターが一言そう言うと、しばらく沈黙が走った。風吹医師の手が、グッと握りしめられているのが見て取れた。

「すまんね……励まそうとしてくれているのはわかる。だけどもう……この、わざとらしい風景に飽きてしまったよ。今はただ、家族の顔を見たい。それが叶わないのなら……」 「旦那……」

 侑子は、意を決してベッドに向かった。風吹医師のアバターも、ベッドもすり抜けて、患者のアバターの前に立つ。一瞬、そのアバターの目が見開かれたように見えた。こちらのことが見えたのだろうか、と思うよりも早く、侑子はそのアバターに手を差し伸べていた。

 そして、侑子の視界はブラックアウトしていった。

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