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LAYER :: 魂の階層

ECHO // 応答

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「……はい、すみません。月末までには必ず。……はい、ご配慮ありがとうございます。では……」

 侑子は電話を切ると、座っていたソファにそのまま横になった。電話の緊張から解放されて柔らかいソファに体を沈める感覚は、若干侑子の憂鬱感を楽にした。  このところ、体の重怠さが続いている。今日はそれが酷く、仕事が手につかないレベルだった。結婚を機に在宅での作業比重を多くしてもらっているのだが、今日はそれでもパソコンを立ち上げる気力すらなかった。  心当たりはもちろん、先日までの過剰なダイブだ。土日の休みはもちろん、平日も仕事が終わった後にわざわざリュミヌー珈琲に赴いていた。そんな日を2週間ほど続けただろうか。流石にダイブしてすぐ鼻血を出したあの時からは控えているのだが、まるで後遺症のように気怠さは続いていたし、正直頭が回らなくなっているので仕事の効率も落ち始めていた。

「うっ……」

 ずきん、と下腹部に痛みを感じて、侑子は唸りながら腹に手を当てた。嫌なことは重なるもので、今朝から生理が始まっていた。侑子は特段生理が重いほうではないと思っているが、それでも時々シーツを汚してしまうことはあるし、腹痛に重ねて頭が痛くなることもある。ピルを服用していたこともあったが、体に合わずやめてしまった。  晴彦がいなくて良かった、と侑子は思った。今日は打ち合わせで午後に戻るから、昼食は不要だと言っていた。食事を準備しなくて済むのも助かるし、何よりこんなぐったりした姿をあまり見られたくはない。  相変わらず、カーテンを開けない部屋の中は午前だというのに薄暗い。侑子の母はこういう閉塞感を嫌っていたので、勝手に窓やカーテンを開けていく人間だった。侑子は結婚したことのメリットをしみじみと感じていた。おかげで、この薄暗い怠惰な環境を好きなだけ堪能することができる。明かりをつける気力さえ湧かなかった。  血の流れる不快な感覚の中で、侑子はぼんやりとリビングの白い天井を眺めていた。まるで病室のようだ、と思った瞬間、頭に浮かんだのは先日の遥奈の姿だった。何本もの管に繋がれ、かろうじて生きていた遥奈。その姿は、侑子にどうしようもない無力感を感じさせるのに充分だった。

「はぁ……嫌になるな……」

 誰に向けるでもなくそう独りごちて、侑子は片手で顔を覆った。火照りやすい自分の掌の熱さが幾分心地良い。しかし、侑子の内心は最悪の気分だった。八方塞がり、という言葉が今の状況に相応しいと言えるだろう。  侑子はその手を上の方に伸ばして、ソファ横のキャビネットに置いたタブレットを手に取った。とにかく気持ちを切り替えるために、動画サイトで適当に音楽でも流そうと思ったのだ。

「うえ……」

 アイコンをタップすると、ホーム画面のおすすめはレムコード関連の動画だらけだった。ここ最近調査で閲覧していたのと、Eternum AIエターナム・エーアイが発表されてから世間を騒がせているせいもあるのだろうが、今はあまり目に入れたくない情報だ。眉をひそめておすすめ欄を手早くスワイプしていると、あるサムネイルで侑子の目が止まった。  まず目に入ったのは、蝶のブローチだった。その蝶が、やけに見覚えがあるように感じたのだ。次に、そのブローチをつけている女性の表情に目が動いた。それは、酷く優しそうな、柔和で穏やかな目をした女性だった。

「『レムコード日本支社の社長が語るEternum AIエターナム・エーアイ——遺族の心に寄り添うサービス』……え? これが、レムコードの社長……?」

 意外だった。レイヤにおける数々の怪現象を見て見ぬ振りをしているどころか、その黒幕と思われるレムコード社。日本支社とはいえそのトップが、こんな虫も殺せなさそうな女性だと侑子は思わなかったのだ。その穏やかな顔付きは、どちらかといえば評判の良いカウンセラーを思わせた。  恐る恐る、その動画をタップする。BGMの上に男声ナレーションが重なり、レイヤの紹介映像が流れた。しばらくそれが続いた後、サムネイルに表示されていた女性が映る。その下には「レムコード日本支社社長 久嶋理子」と表示されていた。

「久嶋、か……」 『……このサービスが賛否両論ある事は想定できました。ですからまず日本支社で試験運用し、様子を見ながら正式リリースするつもりです』

 これはニュースサイトなどでも散々見かけた表向きの情報だ。本社が海外にある会社の世界的なサービスとしては、ベータ版の公開を最初に日本で、というのは珍しいと思った。ただこれは、レイヤの利用者に日本人が多い事も考慮されているのかもしれない。サービスの内容としても、宗教によっては全く受け付けない国もあるだろう。そういう意味では、日本の宗教観と親和性の高いサービスと言えるかもしれないが。

『私は娘を自死で亡くしています。私自身が、Eternum AIエターナム・エーアイを切望する一人の遺族なのです。……残念ながら娘はレイヤのリリース前に亡くなっていますので、私のプライベートなもの以外のデジタルログは残っていません。だからどう足掻いても娘のEternum AIエターナム・エーアイは再現できませんが、私のような哀しい遺族の心に寄り添い、回復に繋げられるような……』

 侑子は動画を再生したまま、ブラウザを立ち上げて「久嶋理子」を検索した。最初に上がってきた情報サイトを開くと、彼女の役職や経歴、簡単な人となり、生い立ちなどが掲載されていた。

「42歳……ふぅん、シングルマザーだったのか。娘は……14歳で死去。中学生で、ね……」

 子どもを亡くす母親の哀しみは侑子にはわからない。だが、中学生で自ら命を終わらせる気持ちは、なんとなく理解できる気がした。元々多感な時期である。環境が本人に合わなければ、生きるのが辛くなるのも想像に難くない。  しかし、愛されてはいたのだろう。それこそ「生き返って欲しい」と思われるぐらいには。  動画の中の久嶋はなおも話を続けている。映像はEternum AIエターナム・エーアイのシステムについて説明するフロー図に変わっていた。

『レイヤでは、故人アカウントのデジタルデータを保管しています。音声情報、行動ログ、メッセージの履歴など……それらの中には故人の思想や主義、ちょっとしたクセなども含まれているのです。単純に言えばこれらのアーカイブをAIに学習させて応答モデルを作成するのです』

 ここだけ聞けば、技術的にそこまでおかしいことを言ってるようには思えない。ただ、それだけでも倫理的にはかなり危ういサービスである。もちろん、それを望むユーザーがいるというのも事実なのだろう。それこそ、自死や事故などによって突然この世を去った故人の遺族ともなれば、なおさらその傾向は強いに違いない。

『我々がデータとして残しているものを、社会に還元するのであればこのような形が望ましいかと思いました。ご遺族の心の中にいらっしゃる故人様の印象はそのままに、亡くなられた方の生きた証をひとつでも多くこの世界に繋ぎ止める……その、お手伝いができれば良いなと思っています』

 侑子はぴくりと反応した。何か、違和感があった。  動画のシークバーを少し戻して同じところを再び再生する。久嶋の「繋ぎ止める」という言葉だ。それが妙に耳障りだった。BGMのせいかもしれないが、ノイズが混じっているようにも聞こえた。  もう一度巻き戻す。しかし、今度はわからなくなってしまった。気のせいだろうか、と思って侑子はそのまま再生を続けた。

『ママ、また仕事? 今日は早く帰って来れる?』

 唐突に、タブレットから少女の声が流れた。今度は違和感なんてものではなかった。異質。侑子の耳の奥をざらりと撫でるその声はまさに、異質というに相応しいものだった。

『これは私が個人的に所有するボイスデータなどから試験的に作られた、私の娘のAIです。……もちろん、学習データが圧倒的に少ない不完全なものなので、受け答えもできませんし、これだけでは合成音声ソフトと大差ありません。ただ、こんな不完全なものでも私の心を癒してくれます……それほどまでに、故人の記録というものは遺族にとって重要な意味があるものなのです』

 不完全なAI? 合成音声ソフトと大差ない? 侑子は久嶋の言葉に引っかかりを覚えた。これは……違う。何が違うのかはわからないが、少なくとも侑子の耳には、その音声はただ機械で合成された声には聞こえなかった。まるで、中途半端に魂を載せたような——  その異質さを感じ取った瞬間、動画に映っている久嶋の表情さえ違和感があるように感じた。やや赤みの差した頬。若干潤んでいるように見える瞳。まるで、何かに心酔しているようにも見えるその表情に気付いた時、侑子は背筋にぞくりとした寒気を感じた。  もうやめよう。これ以上見続けるのは精神衛生上よくなさそうだ。そう思って動画を止めようとしたその時、また侑子の目に止まったものがあった。久嶋が付けている蝶のブローチだ。

「これは……ジャコウアゲハ?」

 見覚えがあると思ったブローチの蝶は、翅が黒く、後翅の下の方に黄色っぽい模様が付いている。そして腹の一部に若干の赤いものが見えた。明確に、特定の蝶を模倣して作られているのがわかる。  侑子は元来あまり生物に詳しくはない。しかし、ジャコウアゲハだけは見分けることができた。父親の葬儀の時に現れた蝶で、当時まだ健在だった祖母が、それがジャコウアゲハだと教えてくれたのだ。  忘れもしない。父親の遺体を火葬している間、とにかくあの火葬場の雰囲気や匂いが居た堪らなくて外に出ていたのだ。ひどい喪失感と、しかしどこか安堵している自分が嫌になって、滅多に吸わない煙草を咥えていた。その時、祖母がやってきてその煙草を否定するでもなく、ただ「私にも一本ちょうだい」と言って笑ってくれた。「親よりも先に逝くなんて、親不孝ものだよ」と哀しそうに呟きながら。  そうだ、あの時だった。慣れない煙草に軽く噎せながら紫煙を漂わせていた時に、どこからか黒い蝶が飛んできて、二人の周りをしばらく飛び回っていたのだ。  侑子はその時の祖母の言葉を思い出していた。

『黒い蝶は、魂なんだよ。お父さんがきてくれているんだね』

「魂……」

 思わず侑子は呟いていた。  それならば、Netherlayerネザーレイヤで見たあの夥しい黒い蝶は一体——誰の魂だというのか。

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