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LAYER :: 魂の階層

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 晴彦が佐々木の死を聞いたのは、もう五年前のことになる。

 過労死ということで会社は親族と揉めたとかなんとか、そんな話を風の噂に聞いた記憶があった。確かに佐々木は仕事熱心な上司であったし、離婚後は独身でいたことを晴彦は知っている。五十代の独身男性がひとりで暮らしていれば、生活がずさんになっていてもおかしくはない。その前提を考慮すれば、健康上に問題が出てきたり、病魔の発見が遅れたりするのは充分に考えられる話だ。

 晴彦はパソコンデスクの椅子に座ったままリモコンで部屋の明かりを消して、脇に垂れ下がっているデスクライトのスイッチを入れた。六畳ほどの部屋が弱い灯りに照らされる。多分環境としては、あまり明るくない方が出やすいだろう。こういうことは雰囲気が大事だ。  晴彦はデスクの上に置いていた紙袋を取り出して、その中からジップロックに入れられた細長いチップを手に取った。ソルダーレジストの緑色がデスクライトに照らされる。部屋の時計はとっくに深夜の十二時半を過ぎていた。

「そろそろ、かな」

 ジップロックの袋を開けて、中の基板を手に取る。元同僚である榊から秘密裏に譲り受けたものだ。晴彦は椅子から降りて、床に直置きしているマザーボード剥き出しのパソコンにその基板を接続すると、同じく紙袋に入っていた数珠のようなものを取り出して左手に巻きつけた。中央の一番大きな石は透明な黒のように見えるが、よく見ればその奥に基板のような精緻な回路が走っている。

 佐々木の死因について、晴彦は疑念を抱いていた。どんな会社にとっても従業員の過労死など、認めたくないもののひとつであろう。だが、佐々木の件においては、会社はそれを隠すそぶりがないように見えた。佐々木が最後に関わっていた社内のプロジェクトについても不審な点が多い。アレは、表向きの概要すら倫理的に問題があり過ぎる。社内でさえ賛否が分かれていたほどだが、トップの主導であったこと、一番それに食ってかかりそうな人間であった佐々木がそのプロジェクトの推進派であったこともあり、口を出せる人間がいなかったのだ。  そして何よりも、佐々木の死後、晴彦が件のプロジェクト資料を漁っていた時に視えた佐々木の姿は、過労死とはかけ離れたものであった。  だから晴彦は、その会社を離れたのだ。

 黒い石をじっと見つめる。大体いつもこのぐらいの時間だったはずだ。普段なら憂鬱にしか感じなかった金縛りが、今は待ち遠しい。自身の霊感の強さをこれほど有難いと思ったことはない。「協力者にアテがある。今夜捕まえる」と伝えた時の榊の呆気に取られた顔を思い出して、フッと口角が緩んだ。その時だった。

 黒い石が、何かに共鳴して微かに緑色に光った。時間は午前一時になろうとしているところだった。  来た——

********

「そんなところで見てないで、こっちに来たらどう?」

 声をかけられた。何故、あり得ない。

「……ふむ。無自覚なのかな? 多分、彼女のエーテル体だと思うんだけど」

 彼が何を言っているのかわからない。これは、おれの夢では無いのか。おれはただ、彼を見ていたかっただけだ。この夢の中で、彼がおれの存在に気付いたことは今まで一度も無かった。そういう夢だった。  動揺していると、彼の目が確実におれの方向を捉えた。本能的に、まずい、と思ったが遅かった。彼の腕がこちらの方向に伸びてくる。その手首には煙水晶に似た、黒く透き通った石が入った数珠が巻き付いていた。  刹那、その石が光ったように見えた。それを確認しようとしたその瞬間、おれはその腕に捉えられていた。

『ひ……!』

 思わず声が漏れた、ように思う。彼の手はおれの胸を貫通していた。動けない。彼の口角が上がるのが見えた。普段なら表情の読めない彼の目が、やや愉悦の色を見せているのがわかる。こんな時におれは、彼の目の色が自分に依って変わった事に激しい情動を覚えていた。自分の意思で動けないこの現状すら、絶望的なのに甘い居心地の良さすら感じる。

「最近、金縛りとか、ラップ現象とかあまりにも多かったんでね。一応俺、家系的に【視える】体質なんだけど、ちょっと他と違うなと。所謂、生霊ってやつかなって思ったから対策させてもらってたんだ。榊チーフに共鳴装置レゾネーターをくすねておいてもらって良かったよ」

 そう言って彼は、手首の数珠の黒い石を摘んでみせた。共鳴装置レゾネーターと呼ばれたそれに疑問を抱き、目を凝らそうとしたその時だった。  不意に彼の手が、おれの胸から胎のあたりまで下がっていった。

『うぁ……あ……』

 奇妙な感覚。痛いわけではない。体の中を掻き回されているような。だが、それさえも甘く。

「篠山侑子さん、だよね? 最近俺のことストーカーみたいに熱心に調べてた。視える共鳴波オーラが同じだから、多分そうじゃないかなっていう感覚的なものだけど。……違う?」

おれはとにかくこの、甘く、背筋を這うような感覚から逃れたくて頷いた。彼は手首の石を見ていた。石の色は光りながら、やや緑色に変わっていた。

「やっぱり。ねえ、君、俺のこと好きでしょ?」

 これもまた、必死に頷いた。石ははっきりとした緑色に変化していた。

「はは、なるほど? うん。じゃあ、君に頼みたい事があるんだ」

 やっと、彼の手がおれの胎から離れる。ふぁ、と漏らした息は彼の耳に届いているのだろうか。  彼はおれに背を向けると、足元のコンピュータの電源を入れたようだった。空気を揺らすような起動音が部屋に鳴り響いた。

【リンク・シーク中】 【エーテル共鳴確認】 【Etheric Dive Protocol v0.84 prototype Boot up】

 光るモニターに映し出される文字に、意味がわからないながらも一抹の不安を感じた。だが、こちらを振り向いた彼の次の言葉に、その不安は全て吹き飛ぶ事になった。  彼は、進藤晴彦は、普段の優しそうな見た目からは想像もつかないような、深淵を宿した欲深い目で笑いながらこう言った。

「君の、その力が必要なんだ。  侑子さん……俺と、結婚してくれない?」

 その言葉を自身の意識が理解するよりも早く、おれの手は彼のほうへと動いていた。腕に触れようとしたその手はしかし、彼の体をただすり抜けただけだった。  共鳴装置レゾネーターと言われた石は、おれの欲望を嘲笑うように、妖しく緑に輝いていた。

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