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LAYER :: 魂の階層

HELLO // 初期接続

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「気になったんですけど、雹緋ハクヒさんとHALハルさんの馴れ初めってお伺いしても大丈夫な感じです?」

 瓶に入った珈琲豆のアイテムが並ぶカウンターの向こうで、蜥蜴をモチーフにしたと思われる獣人アバターが何気なくそう聞いてきた。侑子——このメタバース世界では「雹緋」と名乗っている——は若干どきりとした。まさか、自分が生霊を飛ばした時に求婚されたなどとは説明できるはずもない。内心焦っていると、隣の椅子に座っているフワフワした三頭身程度の獣人少年アバター(フェネックがモチーフになっていると聞いた)が澱みなく答えた。

「最初はね、仕事がきっかけだったんですよ。ほら、雹緋さんの本業ってデザイナーでしょう? 俺はフリーランスのSEで、仕事の案件で雹緋さんところの会社に出向した時に、システムのインターフェースを担当する人だったのが彼女だったんですよね」

 HALと名乗るその可愛らしいアバターこそ、今は侑子の夫である晴彦のものだった。なるほど、そこを話せばいいのか。納得した侑子は、晴彦に話を合わせるように続けた。

「ええ、その時に自分がHALさんに一目惚れしたんですよ」

 一目惚れというのはやや誇張しているものの、そこまで間違ってはいない。実際、何の気無しに参加した打ち合わせで初対面した晴彦は、侑子の目を引いた。如何にもデスクワーカー然とした線の細いシュッとした体躯は、所謂「男らしい体つき」が苦手な侑子の好みであった。細いリムで囲まれたオーバル型の眼鏡の奥は優しく穏やかな目付きをしていて、しかしその瞳は仄暗く、顔は笑っていても目は笑っていないといった表情をしばしば見せていたのが印象的だった。  しかし、それよりも侑子が惚れ込んだのは、晴彦の仕事振りだった。今まで一緒に仕事をした誰よりも、侑子が作ったUIデザインの意図を汲むのが早いのだ。侑子が見落としていた部分にもすぐ気付き、フィードバックの出し方も威圧しないよう配慮していた。残業中に珈琲を手渡されて「お疲れ様」と言われた時、自分でもチョロいとは思ったのだが、その仄暗い瞳にモニターの明かりが映り込むのを見て——堕ちて、しまったのだ。

「ものすごいアタックでしたねぇ」

 ははは、と笑いながら話す晴彦に、侑子はやや背筋が寒くなった。侑子なりにアプローチしていたのは確かに事実である。しかし、実際に侑子がしていたことは、晴彦のありとあらゆるSNSアカウントを特定する、尾行して晴彦の居住を突き止める、晴彦のデスク下のゴミ箱を掃除と称してチェックする……などの異様な行動であった。自分でもおかしいと思いつつ止められなかったその行動を、晴彦は全て知りながら、「ものすごいアタック」という言葉ひとつで笑い飛ばしているのである。  我ながらとんでもない男に惚れ込んでしまったと思ったが、後の祭りだ。すでに婚姻届は提出されて、侑子の苗字は晴彦と同じ「進藤」になってしまっているのだから。

「ええー、いいなぁ。それでゴールインですか。お二人新婚ですし、仲が良さそうで羨ましいですよ」

 マチュと名乗る蜥蜴アバターの心底羨ましそうな言葉に、侑子は脂汗が流れそうだった。 自分の奇行の全てを知りながら、一切の交際期間なく、ただひとつだけの条件だけで晴彦は自分と結婚した。その目的は明確だ。侑子自身さえ気付いていなかった、自身の生霊を分離させる霊媒体質。エーテル体と言われるそれを、晴彦は見込んだのだ。

(まさか、それを利用してあんなことをさせられるとは思わなかったが)

 ぼんやりとそんなことを思ったその瞬間、現実で肩を抱かれる感触があって侑子は思わず声をあげそうになった。VR没入中のリアルな触感に頭が混乱する。

「いいでしょう?」

 晴彦は楽しそうにそう言った。アバター上では、小さな晴彦のアバターが侑子のアバターの背中に手を回したような形だ。思わず、侑子はVRゴーグルを外して立ち上がった。その勢いで晴彦の手は侑子の体から離れた。侑子は一気に押し寄せる現実の視野に一瞬くらっとしたが、それどころではない。

「お前……!」 「いいじゃん。一応、新婚夫婦なんだよ? それとも……嫌?」

 目の前でにやにやと笑う晴彦に、侑子は一瞬で頭に血が昇ったが、なんとも言い返せない悔しさに唇の裏をきゅっと噛んだ。  外したゴーグルのスピーカーから、マチュが何か羨ましそうに喚いている声が聞こえてきた。侑子は慌ててゴーグルをもう一度装着し、VRワールド内へと視界を戻した。同時に、合成された珈琲の香りが嗅覚に戻ってくる。引越しのついでにVRデバイスを良いものに買い換えたのは正解だったと侑子は思った。香料のカートリッジを補充する手間はあるが、嗅覚によるVRへの没入感は馬鹿にできない。  マチュを煽る晴彦を尻目に、侑子は珈琲の香りで気持ちを落ち着けた。それと同時に、残りの豆が少なくなっていたことを思い出した。侑子はカウンターに並んでいる珈琲豆に手を伸ばす。確か、左から三つ目がいつも買っている豆だったはずだ。豆の瓶に手が触れると、目の前にウィンドウが開いた。豆の名前と特徴、購入ボタンが表示される。侑子はその豆が「タンザニア スノートップ」であることだけ確認して、迷わずに購入ボタンに触れた。購入時特有の音が店内に鳴り響いた。

「あっ、雹緋さん! お買い上げありがとうございます!」

 すかさず、マチュがその音に反応した。

「いやいや。さも店員かのような反応やめて下さいよ」

 そう言って雹緋は苦笑いする。マチュは蜥蜴アバターの青い舌をぺろっと出して笑っていた。  思えば、マチュも不思議な人間である。侑子がいつここに来ても、いなかった事がない。友人と言えるほど会話はしているのに、実際の彼と会ったことはなかった。今どき珍しい話ではない。だが、彼が仕事で何をしているのかすら、侑子は知らなかった。  それでもコミュニケーションは成り立つ。不思議な世界になったものである。

 ここ数年で爆発的に普及したメタバースワールド【レイヤ】。「境界を超えて、あなたとともに」を企業理念として掲げるレムコード社の主軸となるサービスだ。日本も例に漏れずその利用者数は多く、中高生からネットに詳しい老人まで、アカウントを持っていない人間を探すほうが難しい。自分の好きなアバターで、好きなように仮想空間を闊歩することができる。ユーザーが【スペース】という施設をワールド内に設けることも可能で、そのスペースをコミュニケーションの場にしたり、申請をすればショップとして利用することもできた。  ここはそんなスペースのひとつで、侑子や晴彦が実際によく足を運ぶ「リュミヌー珈琲」の、言わば【レイヤ支店】である。店内は実店舗のようにくつろぐこともできるし、先ほどの侑子のように豆を実際に購入することもできる。マスターは実店舗を回すので忙しいらしくほぼスペースに現れることは無い。だが、マチュは常にこのスペースにいて、訪れたユーザーに豆の説明をしては地味に売上に貢献しているようだった。ちなみに、マチュはただの常連であるのだが、曰く「推し喫茶店の珈琲を広めたい」とのことらしい。  また、実店舗にはマスターの遊び心で様々な武器(無論、模造刀の類ではある)が陳列されており、訪れた客が構えて写真を撮ったりしているのだが、このレイヤ支店では実際にレイヤ内のコンテンツで使用できる武器アイテムも販売されていた。馴染み客が遊び心で「武器屋」と呼んでいた喫茶店が、VR世界で本当に武器屋になってしまった形だ。

 ふと、壁にかけてある一番大きな大剣が目に入った。鍔の部分で歯車が静かに動いているその剣は、以前 彼女がここで購入したものと同じものだった。

「……最近、ねこねさんを見かけませんね」

 マチュは侑子の目線に気付いたようだった。彼も大剣の方に目を向けて、呟くように話しかけた。

「ええ……他のSNSでも全く浮上していないんですよね。何度もDMを送ったのですが、ひと月ほど音信不通で……」

 ねこねはレイヤが普及する前に別のSNSで知り合った、侑子の友人だった。出会いこそ偶然SNSで絡んだだけのものだったが、それから数年の付き合いになる。それまではかなりの頻度でメッセージを送り合っていたのだが、ある日を境に全く連絡が取れなくなっていた。晴彦のストーキングをしていた頃の知識や技術を総動員しても、それ以降ねこねの痕跡はどこにも見当たらなかった。  侑子は自分のアバターが身に付けている、蝶のモチーフが入った煌びやかな手甲タイプのアクセサリーを見つめた。以前にアイテム作家に頼み込んで、ねこねと揃いで作ってもらったものだ。自分のものが赤い蝶、ねこねのものは黒い蝶だった。揃いで身に付けた時の嬉しそうなねこねの姿を見たのも、本当につい先日のことだったのだ。  ねこねは今でこそ夫と子どもがいるものの、結婚前はあまり家庭環境が良いわけでは無く、メンタルを病んでいたと聞く。連絡が取れなくなった直前のSNSもやや不穏な書き込みが多く、それを心配していた矢先の失踪だったので、何もできないもどかしさに侑子は数日ほど放心状態だった。

「最悪を想定した話で申し訳ないけど、まだ亡くなっているわけではないと思う」

 その言葉に、マチュも侑子も晴彦の方を向いた。

「ほら、レイヤってアカウントの持ち主が故人になると、家族が申請すれば故人アカウントとして処理されるじゃないですか」 「え、そうなんですか?」 「ええ。故人アカウントは表示名の隣に赤いマークが着くんですよ。アカウント検索した時とかに見たことありません?」 「あー! あれ、そういう意味だったんですか?」 「確かに……亡くなっていたらご主人が申請するでしょうね。たしかご主人もねこねさんと同じ【Nileナイル】のプレイヤーだったはずですし」

 【Nileナイル】はレイヤ内でロールプレイングが可能な追加コンテンツのひとつだ。ねこねはよくSNSでそのコンテンツでの出来事を載せていた。ここで購入した大剣を使っている姿も見た事がある。掲載されたスクリーンショットには、確かねこねの夫のアバターも映り込んでいたと侑子は記憶していた。  ねこねが音信不通になってから、侑子は何度も彼女のプロフィール画面を確認しているが、晴彦が言う赤いマークは見たことが無い。

「他のSNSなんかは、長期間ログインが無かったり、家族から申請があればアカウントを削除するんですよね。ぶっちゃけそういうアカウントを残しておくとサーバを逼迫するわけですから当たり前と言えば当たり前なんですけど、レイヤはちょっと違ってて。赤マークが付いた故人アカウントになると、そのアカウントに公開メッセージを残せたりするし、まだ実装はされてませんけど花のMODを手向ける機能の痕跡があったりするらしいんです」 「ふぅん、さながら墓標のようだな」 「そうだね……遺された人の心の拠り所にはなるだろうけど……」

 そこまで話すと、晴彦は言葉に詰まったように沈黙した。まただ。たまに晴彦は、こんなふうに考え込んで黙り込むことがある。それは大体、死に纏わる話題の時だった。

「ふふ」

 唐突に、マチュの笑い声が聞こえた。

「いや、話題が話題の時に不謹慎で申し訳ないんですけど、俺、お二人の関係性いいなぁって思ってるんですよね」 「は?」 「雹緋さんは、基本的に話し方が丁寧ですけど、HALさんの前だと素に戻るでしょう? HALさんとご一緒だと雹緋さんのプライベートな一面が垣間見れて、ちょっと得した気分になるんですよね」

 そのマチュの言葉に、侑子はふと自分の発言を思い返して顔が熱くなった。なんてことだ、なんてことだ!

「あ、あー、あー。そろそろおれは仕事の時間なので、行きますね! マチュさん、それではまた!」

 そう伝えると、一旦ログアウトの処理をした。VRゴーグルを外して、キッと晴彦を睨み付ける。晴彦はまだゴーグルをつけたままにやにやと笑って、マチュと話をしているようだった。

「ね? 可愛いでしょう?」

 思わず侑子が手元のクリアファイルを掴み、晴彦を叩こうとしたその時、晴彦の呟くような言葉が耳に入った。

「でも、妙なんですよね。……ねこねさんのアカウント自体は、ずっとログイン状態のままなんです。まるで、本当にそのアカウントが墓標となっているような——」

 晴彦のその言葉に、侑子の手が止まった。侑子はキュッと唇の裏を噛むとクリアファイルをテーブルに戻し、キッチンの方へと無言で歩いていった。

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