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LAYER :: 魂の階層

SEEK // 深層探索

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 侑子は電話を切ると、目の前のテーブルの上に突っ伏した。

「緊張した……」

 まだ心臓がバクバクいっている気がする。そもそも、侑子はあまり電話が得意ではない。メールやメッセージで済ませられるならそれで済ませたいと思っているぐらいだ。だからこそ、現実の遥奈に会うという選択肢が頭に無かったのかもしれないが。  頭を少し持ち上げて壁の時計を見ると、19時を回っていた。カーテンに遮られてはいるが、6月とはいえこの時間はすでに暗くなっている。先ほどの電話の向こうで、子どもの声が聞こえてきた。侑子はまだこの後にデザイン案件の業務予定が少し残っているが、子どもがいる家庭では忙しい時間帯であっただろうか。侑子は若干、胸が痛んだ。

「まだ終わりじゃないんでしょ? もう一度、かけ直さなくちゃ」

 そう言って晴彦が手に取ったのは、侑子が電話番号を走り書きした付箋だった。

「ねこねさんの携帯、ご主人が管理してるんだね。こっちが旦那さんの電話番号?」 「そうなんだが……少し待ってくれ。気持ちを落ち着けてからかけ直したい」

 なおも倒れ込んだままの侑子を見て晴彦は苦笑いすると、持ってきていた珈琲を侑子の顔の前に置いた。

「とりあえず、ひとくち飲んで」

 侑子の鼻に珈琲の香りが漂ってくる。馴染んだタンザニア・スノートップのほろ苦い香りだ。侑子はのろのろと体を持ち上げると、両手でカップを包み込んでしばしその温かい湯気を堪能すると、そのままひと口すすった。温かい液体が喉の奥を通っていくのを感じて、ふうとため息をつく。自分が思っている以上に緊張していたことを、侑子は自覚した。

「ありがとう……よし、かけ直すか」

 そういうと、侑子はカップを置いて晴彦が手にしていた付箋を取ろうとした。しかし、その手は晴彦に掴まれた。

「……晴彦?」 「侑子さん、意外と人見知りでしょ?」 「……」

 侑子の沈黙は、そのまま答えだった。確かに侑子は初対面の人間があまり得意ではない。占いや仕事の場では業務と割り切っているのでなんとかなるのだが、プライベートでは初対面の相手と話すと支離滅裂になりがちだった。

「無理しないで。ねこねさんの状況が確認できればいいなら、俺が電話したっていいし……そこまでして会いにいかなくても」

 そう言いながら、晴彦は侑子の手をそっと指で撫ぜる。侑子はふっと笑って、晴彦の手の中の付箋を奪い取った。

「らしくないな、晴彦。お前だって手がかりになるならどんな情報も欲しいところだろう?」

 そう言って侑子は気丈に笑い、晴彦を見上げた。晴彦は複雑そうな表情を隠すように、口元に手を寄せていた。

「……まぁね」

 やっとそれだけ呟いた晴彦に、侑子は口角を上げたまま少しだけ溜息を付いた。侑子の鼻腔に、微かに珈琲の香りが漂ってくる。

「怖くないと言ったら嘘になる……この電話もだが、何よりねこねさんの今の状態をこの目で確認するのも、正直怖い。だけど、逃げるのはもっと嫌なんだ。酒に逃げた父親を見ていたからな」

 侑子はそう言うと、手の中の付箋に目線を落としてスマホを持ち直した。電話番号を打ち込むと、意を決してスマホを耳元に当てる。永遠に続くかと思った呼び出し音はしかし、3回ほどなったところで途切れた。

「もしもし。遥奈さんのご主人でいらっしゃいますか? 私、先ほどお電話致しました進藤です——」

********

「しかし、車を運転できないとは思わなかった……」

 軽自動車の運転席でウインカーを上げながら、侑子はぼやいた。

「それは申し訳ないと思うけどね。俺は元々引きこもりだったし、レムコードに勤めていた時は都心部に住んでいたから、免許を取る機会も必要な状況も無くて」

 言うほど恐縮してはいない様子で晴彦が応えた。  遥奈の夫と待ち合わせたのは、隣県の都市部にある市立病院だった。侑子たちが住むところからは高速道路を使っても1時間半以上かかる場所だ。晴彦が免許を所持しているとすっかり思い込んでいた侑子は、交代して運転すれば余裕だと考えていたのだが、完全に当てが外れてしまった形だった。結婚する時に車を所持していないことは気になっていたのだが、もっとしっかり確認すればよかったと侑子は思った。

「それでも、今後は今のアパート近辺に住むつもりなんだろう? こう言っちゃなんだが、あそこは政令指定都市とは言え郊外は田舎だ。車が運転できないと不便だと思うがな」 「うーん、時間が確保できれば教習所に行ったほうがいいのかもしれないけどね」 「いいのかも、じゃなくて、行ってくれ。おればかり運転させられるのは腑に落ちない」 「まぁ、考えておくよ……あ、ここを左だね」

 スマホの地図アプリを見ながらのんびりと発言した晴彦の言葉はしかし、侑子の逆鱗に触れるには充分だったらしい。

「だ、か、ら! 曲がる時はもう少し早く言えってさっきも言っただろうが!!」

 結局車線変更もウィンカーも間に合わず、今日何度目かのルート変更がスマホに表示されることとなった。

「……到着予定時間は、どのぐらい伸びた?」 「3分かな……あ、でも看板があるよ。市立病院駐車場、この先1kmだって。マップの到着地点に設定してたのは病院そのものだったし、車を停めるならこっちの方が正解じゃない?」 「怪我の功名ってところか」

 侑子はもはや諦めたような口調で呟き、駐車場の案内の看板通りに車線を変更した。ハンドルを操作しながら侑子は、車を購入する際に不必要だと思っていたカーナビの導入を固く心に決めた。  侑子たちの住んでいる地方都市と違って、この辺りはだいぶ寂れた印象だった。何十年か前は栄えていたであろう商店街はちらほらシャッターが降りている。閉店した店をリニューアルしたような雑貨屋や喫茶店は一見洒落ているが、周りの風景から浮いていた。VR喫茶を冠する店が増えているのは、時代の流れだろうか。そして、街の心部から少し離れたこの辺りは、新しいマンションがぽつぽつと立っていた。以前訪れた遥奈の家はまた別な地区で、道すがらには田園地帯と住宅地が交互に現れていたが、それよりは多少都市部と言えなくもない。  駐車場に誘導する警備員が見えてきた頃、救急車のサイレンが聞こえてきた。侑子は無意識に、ハンドルをきつく握りしめていた。

 十数分後。ようやく二人は遥奈の夫との待ち合わせ場所である、市立病院の石碑前に到着することができた。そこには、手持ち無沙汰そうに立っている一人の男性がいた。レイヤードと思われるVネックのシャツに、少しゆったりめのチノパン姿。一見清潔感があるように見える外見だが、男性にしては長く、あらぬ方向に跳ねた毛束がある髪や、若干伸びているように見える髭など、細部まで気が回っていない様子が伺える。おそらく彼が、遥奈の夫であろう。少しやつれて疲れが滲む顔色をしていた。

「あの……川崎さん、ですか?」

 声をかけられた男性は、こちらを見て若干驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を戻した。侑子と初対面の人間は大体同じような表情をするので慣れていた。着物姿はそれなりに人目を引く。侑子としては、好きな格好をしているだけの話なのだが。

「はい。進藤さん、ですね? 初めまして、妻がいつもお世話になっています」 「いえ……」

 少し、風の強い日だった。石碑の後ろの桜の木が若葉を揺らす。ざわざわと音を立てる木の根元で、春先に咲いたであろう桜の残骸が動いていた。

「改めまして、進藤侑子です。レイヤでは雹緋と名乗っています。こちらは夫です」 「晴彦です。初めまして」 「わざわざ県外からご足労いただきありがとうございます。ここは風もありますし、立ち話もなんですから、早速ですが中へ……」

 そう言うと川崎は軽く頭を下げて、病院の正面玄関へ向かった。侑子と晴彦は一瞬目を合わせて小さく頷き、川崎の後ろに付いていった。  歩きながら、川崎がこちらを向いて声をかけた。

「一応病院には事前に面会を伝えていますが、あの……」 「はい、わかっています。面会は二名までですよね。自分はロビーで待ってますので、妻を案内していただければ」 「申し訳ありません、わざわざ来て頂いたのに……」 「お気遣い無く」

 話しながら、正面玄関の自動ドアをくぐる。川崎は真っ直ぐ受付に進み、カウンター奥の女性に会釈した。

「すみません、先ほど面会をお願いした川崎です」 「ああ、はい。ご友人がいらっしゃるとかで……」

 受付の女性の目線が侑子に向けられる。侑子は黙って、軽く頭を下げた。

「許可は降りています。申し訳ありませんが、ご友人の方は30分以内でお願いいたします」 「承知しました。ご配慮ありがとうございます」

 川崎に促されて、侑子は面会申請の書類に名前を書いた。引っ越したばかりなので、まだ自分の住所を覚えていない。スマホで確認しながらになったので手間取ったが、明記した書類を受付に渡したのを確認すると、川崎は侑子を案内した。同時に、晴彦は侑子に軽く手を振って、ロビーの椅子の方へ移動していった。

「今日は……息子さんは」

 病院の廊下を歩きながら、侑子は川崎に声をかけた。

「保育園です。土日だと申請が必要だったので、平日に来ていただけて助かりました」 「あぁ、それで……確か、お仕事がシフト制だとかで」 「はい、工場勤務です」

 どこからともなく匂ってくる病院特有の匂いは消毒液だろうか。それに気付きたくなくて、侑子は川崎に言葉をかけ続けた。

「それは……大変ですね」 「どう、なんでしょうか」

 ふと、川崎が足を止めた。ちょうどエレベーターの前だった。川崎はボタンを押して、再び口を開いた。

「俺が……仕事に振り回されていなければ。もっと彼女に気を配っていれば……こんなことにはならなかったのかもしれません」

 川崎の言葉に、侑子は二の句を継げなかった。エレベーターのドアが開き、川崎が階数のボタンを押して動き出すまでの間、気まずい沈黙が続いていた。  遥奈の過ごしてきた家庭環境から察するに、おそらくあまり遥奈の実家に頼ることはしていないのだろう。夫の実家は遠方で頼りづらいと遥奈は言っていた。つまり、家の中や子どもに何かあっても遥奈か夫の川崎がなんとかするしかなく、頼れるのが公共サービスだけだとすると、頼れる範囲が限られているのは想像に難くない。  その中で夫が仕事にかかりきりになっていたとすれば、遥奈の負担はどれだけのものであっただろう。  エレベーターが止まって、再びドアが開く。目の前のナースステーションに川崎は軽く会釈した。

「発覚してすぐはICUに入っていたのですが、容態が安定しているということで今は一般病棟の個室に入っています……こちらです」

 川崎はナースステーションの隣の部屋のドアに手をかけた。するすると開いたドアから、微かな機械音が聞こえてきた。

「遥奈、お友達がきてくれたよ」 「……!」

 ある程度想像はしていたが、それはあまりにも痛々しい姿だった。  ベッドに横たわっているのは、間違いなく遥奈その人だった。しかし、侑子の記憶よりも痩せ細った腕や鼻腔には管が繋がっている。枕元には仰々しい機械があり、遥奈のバイタルを監視していた。固く閉ざされた瞼に並ぶ長いまつ毛は、かろうじてかつての遥奈を彷彿とさせるが、ひと目見て経管でしか栄養を取れなくなっているのが理解できた。

「二月末、保育園から連絡があって、まだお迎えがきていないと言われました。遥奈に電話しましたが繋がらず……慌てて息子を迎えにいってから帰宅すると、レイヤにログインしたまま倒れている遥奈を見つけました。何度声をかけても反応は無く、救急車を呼んで病院に運ばれ……今に至ります」 「ねこね……さん……」 「普段なら、彼女は自分が休みの日まで保育園を利用する事は無かったんですが……俺が勧めたんです。たまには子どもを預けて、ゆっくりしたらって……それが、まさか……」

 侑子は恐る恐る、遥奈の指先に触れた。ぴくりとも動かない。かろうじて最低限の温かさを保ってはいるが、その指は侑子の手よりも冷ややかだった。  その時、侑子は遥奈の体に目がいった。何か違和感がある。侑子はそれにはっと気付くと、川崎のほうを振り返った。

「もしかして……!」 「……気付かれましたか。はい、実は……」

 遥奈のバイタルを計測する機械音が、やたらと耳にまとわりついた。川崎から告げられたそれは、侑子にとって衝撃の事実だった。

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